49巻の一護の巻頭歌はルキア宛→←54巻のルキアの巻頭歌は一護宛
BLEACH49巻の一護の巻頭歌はルキアを想いながらの言葉で、54巻のルキアの巻頭歌は一護を想いながらの言葉だと思います。
そんな二人の表紙と巻頭歌が、それぞれ死神代行消失篇のコミックスの始まりと終わりを飾っている事や二人の唯一無二の特別な絆が最高!というテーマの記事です。
※巻頭歌=BLEACHコミックスの巻頭にある詩
目次
49巻の一護の巻頭歌の「君」はルキアだと思う
僕は ついてゆけるだろうか
君のいない世界のスピードに
[出典:©久保帯人『BLEACH』49巻/一護の巻頭歌]
この詩の「僕」は、49巻の表紙になっている死神の力を失った一護のことだと分かりますが、「君」が何を指しているかは明確になっていません。
死神の力を失い霊力も無くなり、死神も幽霊も見えなくなった一護。
そんな彼の世界からいなくなった死神、幽霊、死神の力や霊力など複数のものが「君」の候補として考えられますが、私はピンポイントでルキアのことだと思っています。
仮に一つの答えじゃない複合的な言葉だとしても、「君」の最も大きな割合を占めるのはルキアだと思います。
以下、そう思う理由です。
■ルキアは一護にとって特別な存在
■総集編6巻収録の既刊宣伝ページにある消失篇の煽り文
理由① 破面篇ラストが一護とルキアのお別れシーン
まず、前巻(48巻)では死神の力を失った一護とルキアがお別れするシーンで破面篇の幕が閉じ、一護の世界からいなくなったものとして唯一ルキアが明確に描写されているからです。
その続きの死神代行消失篇が始まる巻(49巻)の頭に、一護の喪失感漂うこの詩が収録されているので、本来、人に対しての二人称「君」がルキアを指していると推測するのは自然な流れだと思います。
少なくとも、絶対に不自然ではありません。
この破面篇ラストで作者が描きたかったのは「一護と死神たちとの別れ」というより「一護とルキアの別れ」そのものらしい事を、次の点から感じ取れたことで、尚更そう思います。
■地獄篇のムービーガイドからも伝わってくる重大局面
■49巻のplot
作者の久保先生も納得のアニメ版お別れシーンから確信できたこと
この一護とルキアの別れの話は、アニメでは二人のオリジナルシーンを沢山追加し作られ、作者も納得の脚本になっています。
(アニメ342話「ありがとう」)
そして、オリジナルシーンが沢山追加されてもルキア以外の死神たち等との別れの描写が全く捕捉されなかった事を考えると、作者が破面篇のラストに描きたかったのは「一護と死神たちとの別れ」ではなく「一護とルキアの別れ」だという事を確信できました。
原作ではページ数の関係でルキア以外の死神たちや一護の精神世界等に触れられなかったのではなく。
作者はこのアニメ回の内容を「(原作の一護とルキアの別れシーンへ)納得のいく繋がり方になっている」とまで褒めているので(下記の引用参照)、二人のお別れシーンについてのアニメサイドの解釈は正しいです。
侵軍篇最終話は、侵軍篇から原作の破面篇最終話のラストシーンへとリンクする内容なんですが、これが良くできてます。アニメを観て、一護とルキアの別れのシーンが無かった事にショックを受けた人、楽しみにしてて下さい。納得のいく繋がり方になっているんじゃないかと思います。
[出典:久保帯人先生の初代Twitter@tite_kubo/2011年7月13日のツイート]
地獄篇のムービーガイドからも伝わってくる重大局面
劇場版BLEACH地獄篇のムービーガイドに収録されている作者のインタビューに、2010年当時の今後の原作の展開についての話も載っていて、破面篇のラストシーンにも触れられているのですが、次に引用したその作者のコメントや煽り文からも「一護とルキアの別れ」が物語の重大局面なのが伝わってきます。
一護とルキアもいい感じで終わることができたので、一息ついたな、という思いです。
ルキアとも別れてしまった一護の運命は…!?
一護とルキアの邂逅から『BLEACH』は始まった。2人の別れで物語はどうなる!?
[出典:©久保帯人/集英社・テレビ東京・dentsu・ぴえろ ©劇場版BLEACH製作委員会2010 『劇場版BLEACH 地獄篇 MOVIE GUIDE』/一番目→久保先生のコメント、他→煽り文]
49巻のplot
ついにルキアと別れの時が…。
[出典:©久保帯人『BLEACH』49巻のplot]
一護の巻頭歌がある49巻のplotの最後の一文です。
死神との別れというより、ルキア個人との別れがクローズアップされています。
理由② ルキアは一護にとって特別な存在
ルキアは一護が初めて出逢った死神であり、ずっと欲しかった護る力(死神の力)を与えてくれた死神だから、一護にとって死神の象徴としての存在感もとても大きいと思います。
何より、自分の世界を変えてくれて、何度も命と心を救ってくれているルキアは一護にとってかけがえのない大切な存在であり、お互いに命懸けで護り合っている唯一無二の強い絆で結ばれた特別な関係性なので、霊力を消失した一護の元からいなくなった「君」の象徴となるには充分すぎる存在だからです。
【一護を護った・護ろうとするルキアの例(破面篇まで)】
■尸魂界へ連行される時。白哉たちから命懸けで一護を護った。(7巻56話)
■死刑執行直前でも、一護の身を案じて助けを拒み、現世へ帰らせようとした。(18巻151話)
■二度目の一護VSグリムジョー戦で、一護のピンチに颯爽と駆け付けた。(27巻235話)etc.
【一護の心を救ったルキアの例(破面篇まで)】
■後に一護が一心に受け売りするほど心が楽になった言葉をかけた。(3巻20話、46巻398話)
■一護のトラウマの雨を止ませた。(21巻181話)
■破面篇冒頭で、苦悩する一護を再会後すぐに救って元通りにした。(22巻196話)etc.
※一護の巻頭歌の時間軸が消失篇冒頭なので、破面篇までの例に絞って羅列しています。
作者公認の特別性
今回のストーリーで一護とルキアの関係が特別なことなんだ、と再認識させられたのも驚きでした。
[出典:©久保帯人/集英社・テレビ東京・dentsu・ぴえろ ©劇場版BLEACH製作委員会2008 『劇場版BLEACH Fade to Black 君の名を呼ぶ MOVIE GUIDE』久保先生のコメント]
一護とルキアの特別な関係性についての話は、ガッツリ書こうとするととてつもなく長くなってしまうので、この手の内容の別記事を関連記事として下にリンクします。
関連記事は今後も増える予定です。
理由③ 総集編6巻収録の既刊宣伝ページにある消失篇の煽り文
運命を分けたふたりが
さよならを越えて出逢う時
刻を止めた時計が
軽やかに動き始める───
[出典:©久保帯人/集英社『BLEACH総集編 Resurrected Souls 6』]
これは、『BLEACH総集編』6巻収録の、BLEACHの既刊宣伝ページにある消失篇の煽り文です。
ルキアと再会した一護が再び死神の力を取り戻した460話のカラーイラストの一護&ルキアと一緒に載っているから、破面篇ラストにルキアと別れてから消失篇で再会するまでの約17ヶ月間、一護の時間が完全に止まっていることが直球で伝わってきます。
そして、「ルキアと別れて止まった一護の時間が、ルキアと再会して動き出す」=「一護が、ルキアのいない世界のスピードについてゆけなかったことを示唆している」から、一護の巻頭歌の「君」はルキアを指してると思います。
煽り文なので、多分作者が考えた文章ではないと思いますが、二人のことを的確に表していると思います。
一護が再会したルキアから再び死神の力を渡されそれまでの絶望を払拭して前に進める熱い展開、二人の唯一無二の強い絆は、しっかり原作で描かれていますので。
「君のいない世界」について
別れてから約17ヶ月の間、一度も会ってない二人ですが、霊力を失くした一護は死神が見えなくなっても、義骸に入った状態のルキアなら見ることも触れることも会話することも可能なはずです。
ルキアと会える方法があるのに「君のいない世界」と言えるのでしょうか?
結論→言えます。
重要なのは一つだけ。
「一護が霊力を失くしてからルキアと一度も会っていない事実」だけです。
例えルキアと会える方法があっても、ルキアと別れてからの約17ヶ月間は実際に会えてなくて、一護は空座町の担当を外れてるルキアが顔を見せに来ないのが普通だと割り切ってるのだから、それは一護にとって「ルキアのいない世界」も同然だと思います。
要は、気持ちの問題です。
別れてからルキアが一度も空座町に来ていないことを確信している一護
あれから
ルキアは
一度も空座町に
来ていない
[出典:©久保帯人『BLEACH』49巻424話/一護の台詞]
この一護のモノローグについて。
実際は、空白の17ヶ月を描いた小説『BLEACH The Death Save The Strawberry』に、破面篇の藍染との戦いから約5ヶ月後(つまり、ルキアが一護と別れてから約4ヶ月後)にルキアが空座町に来ているシーンがあるから、完全に一護の思い込みだったことが分かります。
死神が見えなくなっている一護が知らないだけで、ルキアが空座町に来ていた可能性があるにも関わらず(そして実際に来ていた)、
「『俺の所に』ではなく『空座町に』ルキアが一度も来ていない事を断定している」ことが好きです。
何故なら、 “もしルキアが空座町に来たら俺に会いに来ないはずがない。来た事を他の仲間たちが教えてくれないはずがない。” といった確信が一護にあることが読み取れて、一護にとってのルキアの重要性や強い絆を凄く感じられるからです。
ルキアと別れてから一度も彼女と関われていなかったことで『俺の所に来ていない』と一護が断定してるなら分かりますが、全域には目の届かないはずの『空座町に来ていない』と断定しているので。
意識的か無意識的か分かりませんが、やはり一護にとって “ルキアが空座町に来る=ルキアが俺の所に来る” “ルキアが俺の所に来ていない=ルキアが空座町に来ていない” という感覚でいたように思えるので、とても切なくて尊いです。
何故ルキアは一度も一護の元へ来なかったのか?
10周年ありがと!まあ、あの週に合わせる為に新章頭から調整してたからねぇ(笑)。
[出典:久保帯人先生の初代Twitter@tite_kubo/2011年8月25日のツイート]
作者は、BLEACHの1話「Death & Strawberry」が本誌掲載された号の丁度10年後発売の号に、1話のルキアと出逢った一護が死神能力を譲渡されるシーンと重なる展開の459話「Death & Strawberry 2」を描きたかったようです。
なので、ルキアが一度も来なかった一番の理由は、連載10周年のタイミングに合わせた、この感動の再会と死神能力の再譲渡の壮大な演出の為とも言えそうです。
その上でルキアの気持ちを推察すると、死神の自分が側にいたら、沢山の人たちを護りたがっている一護が自身の無力さを更に痛感してしまうと思ったからではないかと思います。
また、普通の人間として生活を送る一護を尊重する為、死神である自分は緊急時以外もう安易に関わるべきでないと思っていたのかもしれません。
一護に力を取り戻させる決意をしてからも、それを実行するまでは…。
かつてルキアは、死神の能力を譲渡したことで一護の運命をねじ曲げひどく傷つけてしまったと悔いて苦悩していました。
その後、皆を護って戦えるようにしてくれたルキアに感謝している一護の本心を知って感泣することになりますが、戦いに巻き込まれる一護の身を案じる複雑な想いはずっと持っていたと思うからです。
一護を大切に想うが故のことだったのかなと思います。
つまり、49巻の一護の巻頭歌は…
「俺は ついてゆけるだろうか
ルキアのいない世界のスピードに」
という意味だと思います。
その結果、ついてゆけなかった一護が切なくも尊いので、全74巻の巻頭歌の中で私はこれが一番好きです。
もし「君」に死神の力や幽霊等を含む複合的な意味があるとしても、
「一護と死神たちの別れ」というよりピンポイントで「一護とルキアの別れ」に焦点が当てられた前巻ラストからの流れや、一護にとってのルキアの重要性などを考えたら、少なくとも、この一護の巻頭歌の「君」にルキアが含まれない方が不自然だしあり得ないと思います。
54巻のルキアの巻頭歌は一護への言葉だと思う
変わらぬものは 心だと
言えるのならば それが強さ
[出典:©久保帯人『BLEACH』54巻/ルキアの巻頭歌]
次に、消失篇最後の巻の表紙になっているルキアの巻頭歌についてです。
ルキア自身のことを言ってる解釈もできるかもしれませんが、私は主にルキアから一護に向けた言葉だと思ってます。
以下、そう思う理由です。
■54巻の巻頭歌の挿し絵と破面篇の再会時のルキアの既視感
理由① 54巻にはルキアが一護の不変を称えるシーンがある
そうだ あ奴は最初から何も変わってはいない
そのたった一つの不変に 私の 皆の 尸魂界の百万年の不変が 悉く覆されていったのだ─────
一護─────────…!!
[出典:©久保帯人『BLEACH』54巻476話/ルキアの台詞]
当初、初代死神代行の銀城の居処を洗う餌として次の死神代行を利用し、然るのちに両者を抹殺するという意見が隊長達の大勢でした。
しかし、その死神代行である一護に触れ尸魂界は変わり、殺す筈だった死神代行に力を分け与え、殺す為では無く死神代行の決断を見届ける為に隊長達を派遣しました。
そんな尸魂界側の真意が描かれ、一護の不変が鍵となる重要な展開に、ルキアがこれまでの一護との記憶を回想しながら彼の不変を称える壮大で重要なシーンがあります。
これがルキアの巻頭歌がある54巻に収録されていることが一つ目の理由です。
一護との強い絆は不変
ルキアが「黒崎一護の監視の為」と命を伝達された時、一護が敵の誘いに乗る筈が無いと猛反発していたことも54巻で分かります。
一護についてルキアは、「不思議と心から信じられる奴だった」と出逢った当初から思っていて、ずっと一護のことを信頼しています。
そんな一護に対するルキアの不変が、前述の「ルキア自身のことを言ってる解釈もできるかもしれませんが」に繋がってるんですが、後述の理由②を思うと、やはりこの詩は一護に向けた言葉ではないかと思います。
ルキアとの強い絆は不変
そして、ルキアへの信頼が不変なのは一護の方も同じです。
一護は、月島の能力のせいで家族や仲間たちが全員敵となっていく中、自分を裏切った銀城に完現術を奪われ絶望し、その直後に背後から刀を貫かれたことで、近くに現れた一心と浦原にも裏切られたと勘違いし怒りと悲しみをぶつけ更に絶望します。
ですが、更にその直後に見えたルキアにだけは、自分に刀を刺しているにも関わらず敵認定せず、味方のままだと信じきっている様子から、ルキアとの強い信頼関係が伝わってきます。
…馬鹿野郎 俺じゃねえよ
よく見ろ もう見えてる筈だ
その刀を握ってんのが誰なのか──
[出典:©久保帯人『BLEACH』52巻459話/一心の台詞]
この一心の台詞は、「ルキアちゃんのことなら信じられるだろ」という意味が含まれているのが読み取れて感動します。
普通、一護がルキアの姿を再び見られるようになってすぐに分かる事は、一護の霊力が戻った事だけです。
次々と仲間たちが敵になっていくこの状況で、ルキアが敵味方のどちらなのかは、その姿が見えただけでは分からない筈だからです。
むしろ、自分に刀を刺してるのでルキアのことも敵認定しておかしくない状況なのに、一護が唯一何も疑わず開口一番「──ルキア……。」とだけ呟くことから、ルキアへの信頼感が溢れています。
この一護の台詞は最後の「。」がポイントだと思ってます。
ルキアの名前を呟いただけで台詞が完結しているので、この後に「お前も敵なのか…?」みたいなネガティブ発言を続ける気が無い事が分かるからです。
一護が、久々に再会したルキアを瞬時の判断で真っ直ぐ信じきってるのが尊くて、変わらない二人の信頼関係・強い絆が本当に素敵だと思えるシーンです。
理由② 54巻の巻頭歌の挿し絵と破面篇の再会時のルキアの既視感
[出典:©久保帯人『BLEACH』22巻196話]
こちらは破面篇初期の195話にて一護とルキアが学校で再会したすぐ後の、ルキアが一護を叱咤する196話のシーンです。
このルキアと、次に引用した54巻の巻頭歌の挿し絵のルキアに既視感があることと、何よりこの2つの篇の一護&ルキア再会シーンに複数の共通点があることが、二つ目の理由です。
[出典:©久保帯人『BLEACH』54巻/巻頭歌]
目を閉じ凛とした横顔のルキア。
描かれている部分が目元のアップ、顔の向きや表情、顔にトーンがあるのも被ります。
もちろん、ただ脈絡無く似ている雰囲気の絵を並べているわけではなく、次に挙げるこの2つの篇の再会シーンの主な共通点を考えた上でのことです。
それにより凄く既視感を覚えるので、54巻の巻頭歌の挿し絵のルキアも一護を大切に想っている横顔に見えます。
■サブタイトルが一護とルキアを表す「Death & Strawberry」
・破面篇の再会回(22巻195話)→「Death & Strawberry [Reprise]」
・消失篇の再会回(52巻459話)→「Death & Strawberry 2」
■腑抜けた顔を見せた一護にルキアが怒って、顔に跳び蹴りして活を入れる。
■再会後すぐ、深い絶望の中にいる一護をルキアが救って復活させる。
つまり、一護の詩のアンサーポエム
54巻のルキアの巻頭歌は、49巻の一護の巻頭歌のアンサーポエムの役割がある気もします。
ルキアのいない世界のスピードについてゆけず、ずっと無力に耐えてきた一護を、再会したルキアが巻頭歌でも真っ直ぐに強く救い上げ鼓舞しているような姿に、とてもグッときます。
まとめ
■破面篇ラストが一護とルキアのお別れシーン
■ルキアは一護にとって特別な存在
■総集編6巻収録の既刊宣伝ページにある消失篇の煽り文
【54巻のルキアの巻頭歌は一護への言葉だと思う理由】
■54巻にはルキアが一護の不変を称えるシーンがある
■54巻の巻頭歌の挿し絵と破面篇の再会時のルキアの既視感
一護の巻頭歌については、もし「君」に死神の力や幽霊等を含む複合的な意味があるとしても、
「一護と死神たちの別れ」というよりピンポイントで「一護とルキアの別れ」に焦点が当てられた前巻ラストからの流れや、一護にとってのルキアの重要性などを考えたら、少なくとも、この一護の巻頭歌の「君」にルキアが含まれない方が不自然だしあり得ないと思います。
以上のことから、消失篇開始の49巻の一護の巻頭歌はルキアを想いながらの言葉で、消失篇終了の54巻のルキアの巻頭歌は一護を想いながらの言葉で一護へのアンサーポエムでもあると思います。
連載10周年記念の壮大なDeath & Strawberry演出、一護とルキアの唯一無二の特別な絆の描写が素晴らしい消失篇は、コミックス化された際にも二人のその特別な絆を更に感じられる要素が巻頭歌として追加された事がすごく嬉しいです。
また、消失篇のコミックスは他シリーズと比べ巻数が少ないにも関わらず、このシリーズから登場した完現術者たちがその表紙を飾る中、別離後も大切に想い合い信頼し合う一護とルキアが消失篇の始めと終わりの表紙を飾っている事も、特別感があってとても好きです。